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【家系図あり】ブルゴーニュの名門「グロ家」の系譜を調べてみた

groslineage 造り手

こんにちは、オイジーです。

今回は、ミシェル・グロの(グロ家の)長い歴史が知りたくて、調べてみました。

歴史を知ると、よりディテールが明確になり、理解度も上がります。

そして、その歴史を知ると、グロ家はブルゴーニュの歴史とともに、常に開拓者精神を持ってワイン造りと向き合ってきたんだな・・・と、ただの液体がまるで物語を雄弁に語るようになるんだから不思議なものです。

では早速行ってみましょう!

グロ家の家系図

整理しやすいように家系図をまとめてみました。


thegrosfamilytree
グロ家の家系図(クリックで拡大)

とはいえ、いきなりこれを見てもなんのこっちゃ?だと思うので、一つずつ見ていきましょう!

現在のグロ家

まずはサラッと現在のグロ家をおさらいします。

ドメーヌ・ミシェル・グロ(Domaine Michel Gros)

現ドメーヌ名を冠するミシェル・グロ氏は6代目ですが、既に引退をされたようで、7代目で息子のピエール・グロ氏への承継済み(承継中?)とのことです。まさに転換期を迎えているミシェル・グロ。

ドメーヌ・グロ・フレール・エ・スール(Domaine Gros Frere et Seour)

グロ・フレール・エ・スールの名前を一躍知らしめたベルナール・グロ。現在は2009年に参画した息子のヴァンサン・グロ氏が率いています。

ドメーヌ・アンヌ・グロ(Domaine Anne Gros)

ミシェルやベルナールの父、ジャンの兄弟フランソワの一人娘として育ったアンヌが、22歳という若さで父から引き継ぎ、立ち上げたドメーヌ。

2008年からは南仏ミネルヴォワに夫であるドメーヌ・トロ・ボーのジャン・ポール・トロ氏とともに立ち上げた、「ドメーヌ・アンヌ・グロ・エ・ジャン・ポール・トロ」も

現在の状況をインプットしたところで、まずは初代の時代まで遡りましょう!

初代 アルフォンス・グロ

グロ家の歴史は初代アルフォンス・グロから始まります。

1804年、ショー村(ニュイ=サン=ジョルジュから2kmほど上ったオート・コート・ド・ニュイの小さな村)に生まれたアルフォンス・グロは、ラトゥール家の令嬢と結婚します。

1830年にヴォーヌ=ロマネ村に定着し、長い歴史を刻むことになるドメーヌを開業します。

現在でも感じることのできるアルフォンスの仕事の1つは「ヴォーヌ=ロマネ・プルミエ・クリュ・クロ・デ・レア」を入手したことです。

1860年、アルフォンスはクロ・デ・レアの入手に成功します。

そして驚くべきことに、この畑は現在までの160年あまりモノポール(単独所有)であり、今ではドメーヌ・ミシェル・グロが所有しています。

2代目 ルイ=ギュスタヴ・グロ

2代目、ルイ=ギュスタヴ・グロは、アルフォンスの二人の息子の内の一人で、父の家業を継いでゲノー家の令嬢と結婚しました。

彼は自分のワインをドメーヌ・グロ=ゲノーの名で販売しました。

ルイ=ギュスタヴは他の生産者たちに先駆けて元詰めを開始し、個人客にワインを直接販売するようにしたのです。

つまり「ドメーヌの先駆け」です。

まさに開拓者ですね。

さらにルイ=ギュスタヴは1882年、2ヘクタールのリシュブールを購入します。

現在では、グロ家の3つのドメーヌに分割され、管理されています。

3代目 ジュル・グロ

3代目、ジュル・グロはルノド家の令嬢と結婚し、ドメーヌ・グロ=ルノドの名で販売しました。

1920年、レオンス・ボケ氏の遺産であるクロ・ヴージョの二区画を購入。

さらに数年後、グラン・ゼシェゾーを購入し、3haのリューディ「レ・ロアショス」の交換分合に生涯をそそぎました。

今日のグロ家のグラン・クリュ獲得に大きな貢献をされたのですね。

4代目 ルイ・グロ

4代目、ルイ・グロは父の仕事を受け継ぎ、ドメーヌ・ルイ・グロ、ドメーヌ・ルイ・グロ・エ・フィスの名で家業を継承しました。

ルイは1951年に亡くなりましたが、4人の子供たち(ジャン、ギュスタヴ、フランソワ、コレット)がそれぞれ独立してドメーヌを経営できるよう畑を残しました。

そして1963年に子供たちはその畑を分かち合いました。

(この辺からややこしくなってきますのでご注意ください・・・)

ドメーヌ・グロ・フレール・エ・スールの設立。

ルイの子である、「グスタフ」と「コレット」は自分たちが相続した畑を合わせてドメーヌ・グロ・フレール・エ・スールを設立。

また同じく、ルイの子であった、「ジャン」と「フランソワ」はグロ・ペール・エ・フィス社の元で1973年まで一緒に働いていましたが、その後、二人はそれぞれのドメーヌを経営するようになりました。

ドメーヌ・ジャン・グロの設立(ミシェル・グロの系譜)

ジャン・グロは、父からクロ・デ・レアの全てと、0.5hanのリシュブール、0.5haのヴォーヌ=ロマネを含む4haの畑を相続しました。

その後、自らが立ち上げたドメーヌ・ジャン・グロを精力的に拡大していきました。

1967年にはクロ・ヴージョの1区画を息子ミシェル名義で購入、しかしドメーヌの拡大は購入よりもむしろ、未開の地の開拓や、荒廃していた畑の再整備などで行われていきました。

ここにも開拓者精神がのぞき見えます。

具体的には、ヴォーヌ=ロマネやニュイ=サン=ジョルジュのブルゴーニュに格付けされた畑、アルスナン村にあるオート・コート・ド・ニュイの畑などです。

またジャン・グロは先鋭的な考えの持ち主でもあり、「ヴィーニュ・オート・エ・ラルジュ」という、背丈 を高くとって枝を大きく広げる栽培方法を熱心に支持していたようです。

この方法で栽培されている ブドウ畑は今日もオート・コート・ド・ニュイに見られ、昔は大半の畑でこの栽培方法が取られていたようです。

また機械化への興味関心も高く、農家の負担を和らげる機材や先進技術の開発への大きく貢献したようです。

1995年の収穫後、ジャン・グロは引退し、自身のドメーヌを3人の子供たちに分け与えました。

1人は既にドメーヌ・ジャン・グロの経営に深く携わっていたミシェル。

1人は1988年からフランソワ・パランと結婚してポマール村でドメーヌ・アンヌ・エ・フランソワ・グロを経営しているアンヌ=フランソワーズ。

そして4代目の子供、グスタフとコレットが立ち上げたドメーヌ・グロ・フレール・エ・スールで1980年から働き、現在その経営者となっているベルナールの3人です。

ドメーヌ・アンヌ・グロの設立

アンヌ・グロは、他のグロ家とは少しだけ系譜が違います。

アンヌは、ジャン・グロの兄弟、フランソワの一人娘として育ちました。

1984年までは文学の勉強をしていましたが、その後はボーヌとディジョンで栽培・醸造を学びます。

そして1988年、22歳という若さで父からドメーヌを引き継ぎ、ドメーヌ・アンヌ・エ・フランソワ・グロを設立します。

彼女が引き継ぐ前は、ワインの3/4がバルクワインとして地元のネゴシアンに売られていましたが、晴れて1990年ヴィンテージより完全な蔵元瓶詰ワインとなりました。

翌年には、畑を3haから6.5haに拡大。

1995年には現名義となるドメーヌ・アンヌ・グロに改名。

2007年には父が25年間ベルナールに貸していた0.76haのエシェゾーのロアショースも戻ってきました。

ミシェル・グロの設立

ジャンの息子であるミシェルは、1975年、ボーヌ市のぶどう栽培醸造学校を卒業し、父ジャンのドメーヌで働き始めました。

そして1978年にはそれまで通り父ジャンの片腕となって働きながら、一方で自身のドメーヌ(ドメーヌ・ミシェル・グロ)を立ち上げました。

ジャンの2haのオートコート・ド・ニュイからワインを醸造し、彼自身の名義でワインを販売し始めたのです。

つまり、1979年がミシェルの最初のヴィンテージです。

年月とともに、ミシェルは自身のドメーヌを拡大していきました。

フィロキセラ禍の打撃のあと、放置されていたオート・コートの丘に苗木を植え付けたり、1990年にはヴォーヌ=ロマネ「オー・レア」を購入。

1993年、1996年にはシャンボール・ミュジニーのいくつかの区画を購入。

1995年には、モレ・サン・ドニ「アン・ラ・リュ・ド・ヴェルジィ」の区画を購入しました。

さらに同年、父のジャン・グロが引退し、子供たちに畑を分け与えました。

ミシェルはヴォーヌ=ロマネ・プルミエクリュ「クロ・デ・レア」モノポール、ニュイ=サン=ジョルジュの二区画、ヴォーヌ=ロマネの1区画、そしてブルゴーニュの1区画を受け継ぎます。

1997年には地主のエカール家よりヴォーヌ=ロマネとニュイ=サン=ジョルジュの3.5haの畑を委託されました。

さらに2008年に2.5haのオート・コート・ド・ニュイの畑も委ねられました。

そうして合計で23haもの畑となるまで拡大を続けました。

ピエール・グロへの継承(ミシェル・グロの系譜)

そして現当主のピエール・グロ氏に辿り着きます。

ピエール・グロ氏は1990年生まれ。(オイジーと一歳違いです。同年代で当主・・・すごい!)

経歴も異色で、エンジニアの学問を修めた後、パリで最初の職業に就きましたが自らのワインへの情熱と、先代たちが築き上げた家業の長い歴史からドメーヌに戻り、醸造の勉学を積みました。(偉い!)

2016年、ブドウ栽培・醸造に関する高等技術士としての資格を取り、父が長年の実践で身に着けた手腕を譲り受けるべく、ミシェルに師事し、収穫と醸造に従事するようになりました。

2019年、家業に専念できるようにエンジニアの職を離れました。

その年から徐々に父から息子へと権限が譲られ、ドメーヌの経営と安定したワインの品質をピエールが担っていけるように全般の仕事に携わっています。

偉大なワインを造るためには、ブドウ栽培と土壌を生かすことが根本になると悟ったピエールはテロワールへのさらなる理解に努め、年間を通じてブドウ畑での緻密な作業に信念をもって行っているとのことです。(実際にピュア感の増大を味わいから感じます)

そして2022年からはグロ・フレールとの貸借契約が切れて「リシュブール」と「エシェゾー」がピエール・グロ率いるミシェル・グロに戻ってきた・・!ということになります。

代替わりごとにドメーヌの名前が変わってきたグロ家。もしかしたらそろそろミシェル・グロの名前も変わるのかもしれませんね。

おわりに

いかがでしたでしょうか。

実に複雑な、グロ家の系譜。

しかし背景を理解すると、またそのワインの味わいも深みが増す・・・というものです。

スタイルこそ違いがあるものの、現在のグロ家はどのドメーヌも評価が高く、人気が高いです。

系譜や歴史も頭に入れながら飲んでみると、より一層楽しめるかもしれませんね!

ちなみにここまで見ていただいたので、こそっとマル秘情報をお伝えします。

先日ブルゴーニュのトップ生産者の一人、セシル・トランブレイ女史のセミナーで直接、注目の若手生産者を聞いたところ・・・

・・・・なんと、ミシェル・グロの息子、「ピエール・グロ」とのこと!

ん~なるほど!オイジーもテイスティングして父ミシェルのワインから明らかな変化を確認しています。今後に期待ですね!

今後の彼らのワインも期待です!

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